アメリカに来た日とその後の人生

7月~10月にかけて、たくさんの旅人と会い、自分がアメリカに来た日のことを思い出しました。

私がアメリカに「来た日」は、3回あります。

大学3年生の夏休み。ホームステイをするために来た日。

大学を卒業して、アメリカに留学するために来た日。

日本での生活をやめて、アメリカに永住するために来た日。

最初が1997年で、2回目が1999年、3回目が2008年。

降り立った場所は、すべて今、私が住んでいる大好きなロサンゼルス。

1回目。初めての海外。小さいころ、まさか海外に出るとは思っていなかった私の、初めての海外。

流行っていた「ビバリーヒルズ高校白書/青春白書」のドラマで刺激を受け、「彼らの生活を見てみたい」とロサンゼルスに行くことにした私。日本の受験戦争に巻き込まれ、第一志望の大学に入ったはいいけれど、「何か違う」と感じていた私にとって、ドラマの高校生活は夢のようでした。

大学の生協で頼んだホームステイプログラムだったので、空港にはお迎えの人が来てくれていました。当時は、関西空港からも名古屋空港からも直行便があり、 他の空港から来る仲間たちを、結構長い間、空港で待った気がします。

待っている間、私はそこで仲良くなった友達と空港の外に出てみました。

「空が青~~~い!空が高~~い!」が、私のロサンゼルスの第一印象。

多分、あの時、私は一瞬でロサンゼルスに恋をしたんだと思います。そして、その気持ちは14年たった今でも全く変わりません。

2回目にアメリカに来た日。

2回目のロサンゼルス。その日も、ロサンゼルスの青い空、私が一瞬で恋した青い空が出迎えてくれました。「何度も何度も住みたいと思ったロサンゼルスに住むことができる。」それだけで、ドキドキしました。

大学付属の語学学校に行くことにしていたので、係りの日本人の学生が空港まで迎えに来てくれていて、私は、高校卒業したばかりの男の子が2人、大学生の女の子が1人と一緒にシャトルバスに乗り込みました。

3人は別の場所に行き、大学の寮に1人で降ろされた私。英語は一切喋れなかったので、どうしたものかと思いましたが、なんとかコミュニケーションを取り、部屋に案内してもらいました。部屋は真ん中にリビングルームがある2ベッドルームスタイル。1つのベッドルームに2人なので4人まで収容できましたが、私の部屋は私だけ、隣の部屋にもアメリカ人が1人でした。

しかも、私は留学するのがうれしくて、勢い余って早めに申し込みすぎたらしく、寮のアプリケーションを放置されていたようで、急きょ空いている部屋を探してくれたという状態で、ベッドや棚はぐちゃぐちゃ。

それを見て、

「アメリカ生活初日、ここで迎えるのかぁ」と、少し不安になりました。アメリカに住むようになって、楽しいことばかりで、寂しいとか不安とかをほとんど感じることがなくなった私ですが、12年前の私は、まだまだ子供だったのです。

どうしようかと途方に暮れていると、アメリカ人のルームメートがスーパーに連れて行ってくれ、元気が出ました。元気になった私は、夕方、学校や寮の中を歩いてみました。そこで、やはり来たばかりの女の子と会い、話しました。彼女と会った瞬間、すごくほっとしたことを覚えています。その彼女とは今でも仲良くしています。

3回目のロサンゼルス。

もちろんあの日もロサンゼルスは青空で、それだけで心が躍りました。最初の2回は1人来ましたが、3回目は、Takと2人。2人で飛行機の中から私たちが住んでいた、そして今からずっと住むロサンゼルスの街並みを見て、本当にうれしかったことを覚えています。

2004年に留学を終えた時、私たち2人は日本に帰ることにしました。その段階で、ロサンゼルスに移住するのは決めていました。なぜならこの国、この場所がとても居心地が良いからです。

でも日本に帰ることにした理由。それは……、

世界中から来た友達が、「東京は世界で最もエキサイティングなシティだ」と口をそろえて言うからです。Takも私も、地方出身です。東京を知りません。私は小さい時から、東京にあこがれていました。いつか住みたいと思っていました。それが、ビバリーヒルズのドラマを見たことで、ロサンゼルスに変わり、こっちに先に住みました。でも、ずっと東京には興味がありました。

「自分の生まれた国に世界中の人が言う”世界で一番エキサイティングなシティ”があるのなら、ロサンゼルスに永住する前に住んでみなきゃ」と思ったのです。

2004年に日本に帰るときの予定はこんな感じでした。

「4、5年、東京に住んで日本を観察しよう。4、5年フリーランスで仕事をしていれば、アメリカに戻っても引き続き仕事ができる日本のクライアントさんがいっぱいいるだろう。会社に勤めることは考えられないから、アーティストビザかジャーナリストビザで戻ってこよう」

私の計画はすべて順調に行きました。

Takはフォトグラファー、私はライターとして2人で活動し、アメリカに行ってもお付き合いができるクライアントさんともたくさん出会いました。その間、アメリカと日本を何度も行ったり来たりしました。

そして、4年目のお正月。何となく「今年はLAに戻れるな」という予感がしました。全てのことが、LAに戻る方向に向けて動き始めたのです。この時に取って来たビザは、アーティストビザ。そして、グリーンカードもすでに抽選で当たっていました。

そうやって戻ってきたロサンゼルス。感動もひとしおだったような気がしますが、1回目2回目に比べると、あまり記憶がありません。きっと、ロサンゼルスにいることは、私たちにとってすごく自然なことだったからなのでしょう。

大学3年生の時に初めて来たアメリカ。その体験が、私の人生を大きく変えました。ロサンゼルスと、その後行ったラスベガス、グランドキャニオン、サンフランシスコ。楽しそうに生きる人々。フレンドリーな人たち。地球。青い空。ホームステイ中の1カ月で体験したことは、全てが刺激的でした。

そう言えば、今、これを書いていて、ホームステイを終えて日本に帰って来た私に、当時付き合っていた彼氏がこんなことを言ったのを思い出しました。

「なんか、あか抜けたね。全然違う人みたい」と。

その時、私は、こう言われても、全くピンときませんでした。でも、今考えると、「いつも私を見ていた人の一番的確な言葉だったのかな」と思います。現に、私の人生は、あの前とあの後では、全く違うものなのになったのですから!

人生に「しなければいけない」ことなんて一つもありません。日本に住んでいると、何歳だから何をしなければとか言う暗黙のプレッシャーがありますが、それはおかしなことだと思います。人はしたいことベースで自由に生きて行くことができます。そうやって生きて行く決断をするのに、遅いも早いもありません。皆さんが、やろうと思った時がそれをやるタイミングです!

Takは18歳でアメリカに来ました。私は22歳でアメリカに来ました。友達は28歳でアメリカに来ました。また別の友達は32歳でアメリカに来ました。もちろん60を過ぎて移住した人もいます。

そう、人生、いつでも何でもできるのです。全ては自分次第です。そして、このアメリカと言う国は、何かをやろうとしている人を応援してくれます。人生に迷ったら、いつでも遊びに来てください!私たちと一緒にアメリカを体験しましょう!!